6月3日、読売巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄氏が死去した。長嶋氏の肉声、間近に接した選手や監督の言葉で、“ミスタープロ野球”の足跡を辿ります。月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」の有料会員(初月300円から)の方は、すべての記事をご覧いただけます[全5本]

長嶋茂雄と五輪の真実 第1回
長嶋茂雄「これが日の丸のプレッシャーか」
「半端じゃなかった。ペナントや日本シリーズでの感じとは全く違うんだ。そう……何とも言えない重さ。やっぱりオリンピックだなというのをね、背中にずっと強く感じながら戦いました」2021.04.13

長嶋茂雄と五輪の真実 第2回
アテネ五輪への出場が決まった後、長嶋氏が脳梗塞で入院。日本代表チームの監督を託された中畑清氏は「長嶋さんならこう考えるんだろうなと考えながら、メンバー選考も進めていった」と当時を振り返るなど、アテネ五輪で奮闘した選手らが肉声を残しています。2021.05.21

長嶋茂雄と五輪の真実 最終回
アテネ五輪の日本代表チームは準決勝で敗北、金メダルを逃しました。「最初に思ったのは、これで長嶋さんに金メダルを届けることができない、ということでした」と主将を務めた宮本慎也氏らが、銅メダルを長嶋氏に届けるまでを振り返りました。2021.06.22
