6月3日、読売巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄氏が死去した。長嶋氏の肉声、間近に接した選手や監督の言葉で、“ミスタープロ野球”の足跡を辿ります。月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」の有料会員(初月300円から)の方は、すべての記事をご覧いただけます[全5本]


長嶋茂雄初告白「天覧試合」秘録

「貴賓室を見上げると陛下は拍手をしながら身を乗り出しておられた。皇后さまも半分立ち上がった姿が見えました。野球をやっていてよかった』と、その瞬間に思ったことを覚えています」2022.07.08


長嶋茂雄「東京五輪のアスリートたちへ」

「私は本当にアテネに行きたかった。たとえグラウンドに立つことができなくても、それでも五輪の舞台に行きたかった。その気持ちは強かったんです」2021.07.23


長嶋茂雄と五輪の真実 第1回
長嶋茂雄「これが日の丸のプレッシャーか」

「半端じゃなかった。ペナントや日本シリーズでの感じとは全く違うんだ。そう……何とも言えない重さ。やっぱりオリンピックだなというのをね、背中にずっと強く感じながら戦いました」2021.04.13


長嶋茂雄と五輪の真実 第2回

脳梗塞ーーミスターが託した日の丸

アテネ五輪への出場が決まった後、長嶋氏が脳梗塞で入院。日本代表チームの監督を託された中畑清氏は「長嶋さんならこう考えるんだろうなと考えながら、メンバー選考も進めていった」と当時を振り返るなど、アテネ五輪で奮闘した選手らが肉声を残しています。2021.05.21


長嶋茂雄と五輪の真実 最終回

ミスターが感じた「銅メダルの重み」

アテネ五輪の日本代表チームは準決勝で敗北、金メダルを逃しました。「最初に思ったのは、これで長嶋さんに金メダルを届けることができない、ということでした」と主将を務めた宮本慎也氏らが、銅メダルを長嶋氏に届けるまでを振り返りました。2021.06.22