かつて法に触れる行為をした少年に、再犯をさせないこと。それが、国の更生保護政策の最優先課題として位置づけられている。

 そう考えると、少なくともAは、再び人を殺めるような「犯罪」はしていない。更生するにあたり最低限、必要な条件を満たしてはいる。

 だが、一般社会で暮らす私たちにとって、更生とはどのようなものだろう。

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 再犯していない=更生している。

 そう受け止める人が、どれほどいるだろうか。

 おそらく、そこにはズレが生じる。少年Aの存在が私たちを揺さぶる理由は、彼の行動が、まさにそのズレを突くからだろう。

 再犯こそしていないが、本当にAは大丈夫なのか――と。

 少年Aは、更生しているのか。それを考えるにあたって、まずはAが社会復帰してから、今に至るまでの流れをたどる。

国が描いた少年Aの社会復帰

 陰惨な事件をおこした後、少年院に収容されたA。彼はその後、どのように社会に戻ったのか。

 一般的に、少年院に入った少年は、二段階で社会復帰する。いったん少年院から仮退院をして、国に保護観察される期間を経て、それから正式に退院をする――というのがセオリーだ。復帰までに助走の時間をもうけ、社会になじませる。これを、その業界では社会内処遇という。その定石にしたがって、Aについても、この手続きが踏まれている。

 Aは、2004年3月10日に関東医療少年院を仮退院した。彼とじかに面談した関東地方更生保護委員会が、「社会復帰に問題なし」と判断したからだ。事件当時14歳だった少年は、このときすでに成人。21歳になっていた。

 少年院にいたのは、6年5カ月。施設に入り、籠の鳥として過ごした期間は、短いのだろうか。

 十分に長かった、ということになる。というのも、当初は5年半(2003年春の仮退院)の予定だったのだ。じつは、人を殺めた少年でも、たいていの場合、もっと早く少年院を出ている。

 Aの仮退院の後、国による保護観察の期間は、2004年12月31日までの10カ月。そのあいだ、国によるAへのケアはつづいた。Aを監督し、支援したのは保護観察所(法務省の出先機関)だ。この組織によるAへの対応は、特別に手厚かった。着替えと日用品が入ったボストンバッグひとつで仮退院した彼に、東京保護観察所は、まず観察官3人をつけて、生活基盤の安定を図っている。

 それは試行錯誤の連続であった、といえる。