乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは――。
ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』(文藝春秋)より一部を抜粋。2両目に乗っていた女子大生(19歳)の証言を紹介する。(全3回の2回目/3回目に続く)
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「大変な事故が起こっているの、知ってる?」友人からの電話で事故を知った母
2両目の最前部と言ってよい位置に乗っていた三井花奈子の母・三井ハルコが事故の発生を知ったのは、かなり早い段階だった。9時30分ごろだったろうか。娘同士が同じ大学に入った幼馴染の友人から電話があり、「大変な事故が起こっているの、知ってる?」と言われたのだ。
ハルコは、市民活動に関心が強く、前の年から準備に追われていた市民団体の設立や運営を支援する中間組織のNPO法人「市民事務局かわにし」の設立に3日前に漕ぎつけたばかりで、この日も自宅でパソコンを叩いて仕事をしていた。
友人からの電話を切ると、テレビをつけた。電車の脱線現場の凄まじい情景に、ハルコは息を呑んだ。しかし、この時はまだ事故を遠くで起きたことのように、距離感をもって見ていた。
それでも友人から、「花奈子ちゃんが乗っていなかったか気になって」と言われたことに引っかかって、念のために花奈子に携帯で電話をかけた。つながらない。普段、家族からの電話にあまり出ない娘なので、今度はメールを送った。
〈10:50 タイトル:だいじょうぶ? 本文:すぐ連絡ください。〉
返信がない。ハルコは、何度も電話とメールを発信したが、全く反応がない。
「どうか乗っていませんように」という祈り
《今できることを考えよう。落ち着こう》
一生懸命に自分に言い聞かせた。そして、花奈子があの電車に乗ったかどうか、花奈子の今日の行動予定を調べれば可能性がわかるはずだと思いつくと、2階に上がり、娘の部屋に入った。
《もしかして――》と、不吉な思いが頭の中をよぎったが、そんな思いを必死で払いのけて、娘の机の上を見ると、大学の授業時間割の表があった。この日は、2時限目の10時45分からの授業に出ることになっている。その授業に出るには、どの時刻の電車に乗るのか。
ハルコは、家を出た時刻、バスの時刻表、JR福知山線の時刻表を調べ、娘が乗った可能性が高いJRの電車を割り出した。やはり可能性が高い。
《どうか乗っていませんように》
《でも、もしかしたら……》
頭の中で願望、祈り、不安が渦を巻く。1階の居間に下りて、テレビを見ると、現場は混乱のさなかだ。死者の数が増えていく。尼崎警察署に電話をかけたが、数十回コールしても話し中でつながらない。花奈子に繰り返し電話をかけ、メールを送っても、反応がない。