「死にたくなかった。いま直ぐ私の命を返してください!」――取材当時、現場では一瞬にして命を奪われてしまった犠牲者の無念の声が聞こえてきたことも…。乗客乗員520人の命が失われたことでも知られる、飛行機事故「日本航空123便墜落事故」(1985年8月12日)。同事故を取材した報道カメラマンが振り返る事故の記憶とは? 橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全4回の3回目/最初から読む)
◆◆◆
弁当を食べようとしたら「人間の足」が…
ふと足元を見ると、男物の財布が燃え残っていた。乗客の物だろう。中身を見ると、クレジットカードや数枚のお札の間に挟まった一枚の家族の写真があった。写真には公園で撮ったらしい妻と二人の子供の笑顔が写っていた。写真をその場で複写しようかとも思ったが遺族の事を想うと止め、警察官に渡した。
次々とやってくる頭上のヘリがまき散らす轟音と、風圧の下で、警察官が布に包んだ遺体に手を合わせている。その傍で、無表情で手足を拾い集める自衛隊員、立ち昇る炎に足で土をかける消防隊員──みんな黙々と割り当てられた仕事をこなしていた。
だが、一人の捜索隊員はその場に座り込み、捜索を続ける仲間たちを呆然と見つめていた。声をかけると、「少し疲れちゃって」と虚ろな返事が返ってきた。
遙か彼方の茜色に霞んだ山々に真っ赤な太陽がかかった。夕陽は、疲れ果てて座り込んだ我々の顔を赤く染めた。遠くを眺める目線の先に、山々が黒いシルエットとなり浮かんでいる。それも束の間に、消え去り、御巣鷹山の尾根は深い闇に包まれた。静寂と冷気、そして闇は、まるでなにごともなかったかのように凄惨な墜落現場を包み込んだ。
現場に残った僅かな隊員たちや取材の仲間たちは、狭い尾根に所狭しと置かれた遺体を囲むように座り込んでいた。みな、汗と泥にまみれ、言葉さえ掛ける気力もなく疲れ果て座り込んでいた。ときたま、暗闇に鬼火のようにちらちら燃え上がる炎を、誰もが黙ったまま見つめていた。きょう一日、長かった。空腹だった。
リュックのなかから弁当を取り出した。近くに座るカメラマンへ「もう一つ弁当がありますから、よかったらどうですか」と声をかける。するとカメラマンは「食欲があるんですねぇ」と笑いながら礼を言って、差し出した弁当を受け取った。
いざ食べようとしたとき、足元の近くにちぎれた人間の足が落ちているのに気づいた。