苦難の連続だった子ども時代~デビュー前
「誰かの指図を受けるのはイヤ。一つの音楽ジャンルにはめられたくない」
のっけから“シンディ節”全開だ。移動中の車で語っているが、目的地に遅刻し「クソ」っと“f”で始まるフォーレターワードを口にする。自分らしく生きたいように生きる“自由人”を象徴するような冒頭シーン。しかも、イタリアの有名ブランド「モスキーノ」のロゴ入りバッグを持っているのだが、横にノコギリやスパナなどの工具が飾りのようにぶら下がっている。何これ? 知らんけど、いかにも“らしい”。
80年代アメリカ音楽界に彗星のごとく現れ大ブレイクを果たしたシンディ・ローパー。だが前半生は苦難の連続だった。イタリア移民の子としてニューヨークに生まれ、貧しかった子ども時代。母親は大好きだったが、義理の父親による暴力に耐えかねた。救いはトランジスタ・ラジオから流れる音楽。時あたかもロック興隆期の60年代に、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、ジョニ・ミッチェルなどを聴きまくった。
家を出て自立を目指し様々な職につくが、ぱっとしない。音楽の道にたどり着き、バンドでジャニス・ジョプリンをまねて見事な歌唱力を示す。ところが声の張り上げすぎでのどを痛め1年の休養。やがて復帰しソロデビューを目指すも、前のマネージャーとのトラブルで一時は引退の危機に。しかし法廷で裁判官は「カナリアに歌わせなさい(Let the canary sing)」。シンディに歌わせないなんてありえない、と裁判所も認めたのだ。勝って彼女は道を切り開き、これが映画のタイトルとなった。
「こんなクソ曲、ゴメンよ」
ようやくつかんだ成功のチャンス。何としてもものにしたいところだが、ここからの展開が「自由に生きる」シンディの真骨頂だ。デビュー曲『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』を提示された時、プロデューサーの耳を引っ張り文句をつけたという。
「こんなクソ曲、ゴメンよ」
この曲はもともと男性のロックバンドが作って演奏していた。僕らが知るシンディの曲とはまるで違う。彼女自身、初めて聴いた時のことをこう語る。
「ひどい曲だと思ったの。男目線の歌詞だった。『女の子は遊びたいの』ってどういうこと?」