窮地に立つ石破茂首相が頼ったのは……。月刊文藝春秋の名物政治コラム「赤坂太郎」から一部を紹介します。

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「議論好き」石破首相の国会答弁

「やはり総選挙は予算委員会の後にすればよかったな」

 臨時国会が開かれていた昨年12月、石破は少数与党として臨んだ衆議院予算委員会の審議を乗り切り、2024年度補正予算が成立する見通しが立つと、周囲にこう漏らした。

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 9月の総裁選直後に、衆院解散・総選挙は国会論戦後と明言したのに、首相に就任するや予算委を開かずに早期解散に踏み切ったことが「変節」と批判され、自民党惨敗の一因となった経緯にまだ拘っているのだ。と同時に、石破本人は予算委での野党との論戦に自信を深めたと見える。

 実際、臨時国会での答弁は危なげなくこなした。そもそも大の議論好き。質問をじっくり聞き、自分の言葉で滔々と答える様は、討論を楽しんでいるようにも映った。

衆院予算委員会で答弁する石破首相 ©時事通信社

 答弁作りを担う秘書官に「お茶の間の人が聞いて『なるほど、そういうことか』と分かるような文章を心がけてくれ」と注文したが、手元の紙に目を落として答弁する場面は少なかった。

「石破論法」なる言葉も生まれた。野党議員の質問に、まず「ご指摘は謙虚に受け止めます」と下手に出て、問題の背景などを立て板に水で説明する。そして、「どうあるべきなのか」と問題意識を共有するものの、いつまでにどうするのか、言質を与えない。

 立憲民主党からは「熟議の国会にふさわしくなってきた」「議事録をよく読むと質問にほとんど答えていない」と相反する評価が聞かれる。石破を攻めあぐねた証左である。

 与野党が徹底論戦して合意を探ると言えば聞こえはいいが、政治から数合わせを排除することはできない。テレビやネットで中継される表の審議を尽くしたところで、双方の主張の違いが明確になるばかりで、妥協点は探れない。ならば、水面下で多数派工作を進めるほかない。

 そこで石破が頼ったのは、やはり自民党幹事長の森山裕だった。補正予算案が混乱なく衆院を通過し、成立したのは、森山が立憲と国民民主党を両天秤にかけた調整が奏功したからだ。

 まず森山は、国民が唱える「年収103万円の壁」引き上げについて、政治決着を急いだ。12月11日、自公国幹事長は制度の詳細や財源はさておき、178万円を「目指して」2025年から引き上げることに合意した。石破は178万円を「目指して」という玉虫色の表現に膝を打ったという。