エリート主義がもたらすリベラルの凋落
浜崎 それは「ポスト冷戦期のリベラルの頽落」という問題ですね。
先進各国は、第二次大戦後に高度経済成長を達成し、さらに冷戦後の世界で「リベラリズム(自由主義)の一人勝ち」を実現した。だから、それ以上「リベラリズムの擁護(〜からの自由)」を訴える必要などなかったんです。それでも「リベラル」という言葉に無理に拘るから、「アイデンティティ・ポリティクス」のような“些末”な問題へと向かってしまった。それに対して、むしろトランプの方が、例えば副大統領候補のJ・D・ヴァンスが『ヒルビリー・エレジー』で描いたような、米国の繁栄から取り残された白人労働者階層を救おうと声を上げた。労働者の現状よりアイデンティティ・ポリティクスを重視するのは、リベラリズムではなく、エリート主義です。
社会における議論や対話は、ある程度の「平等」が保たれて初めて成り立ちます。今はその議論の土台自体が壊れているのに、そこに目を向けずに、学歴エリートの内輪だけで自己陶酔的に「リベラル」を語るのはどうかしています。
與那覇 ハリス陣営が人気の歌手や俳優ばかりを選挙集会に呼んだ「セレブ戦術」が、いまやすっかり敗因扱いなことにも通じますね。トランプの側は「向こうの集会は働く必要のない奴らが来ているが、こっちは働く人の代表が来ている!」と逆手にとり、成果を上げました。
昨年の連載でフォークナーの『響きと怒り』を取り上げ(11月号)、かつて南北戦争の後の南部に満ちていた「怒り」が、全米規模になっていることに向きあわないとダメだと書いたものとしては、「ほれ見たことか」という感じです。しかしいまのリベラルには、そうした教養がない。未来志向と称して、過去を振り返らず、歴史に学ばないからです。
※本記事の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(「SNS選挙は民主主義なのか」)。全文では、二人が考える民主主義の本質、「草の根の民主主義」を否定する左派の腐敗、「極右・極左」のレッテル貼りの問題などについて語られています。
・この対談は、動画でもご覧いただけます。
【動画】浜崎洋介×與那覇潤「2025年、“民主主義“は終わるのか?」 「極右」と「極左」のポピュリズム政治へ

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